レーサー仁木の誕生秘話?

今回は、俺が普通の高校生からレースデビューに至るまでを書こうと思います。まぁ、なんて事は無い普通の小学生から中学生になり、高校生になり…、今日まで生きてきました。『~小学校、中学校、高校、現在~』の4つに分けて、思い出しつつ書いてみます。

~小学校

両親が教諭だったため、保育園で幼少期を過ごしました。0~4歳までのことは覚えていないので書けませんが、火遊びが好きだったはずです。近所の遊び場の木を2、3本燃やしてしまったのは覚えているので(汗)。

小学校に入ってからは、ピアノ、書道、水泳と習い事をはじめ、遊ぶ時間が減りました。それでも毎日外へ出かけて遊んでましたけど(笑)。この頃から自転車、エアガン、ラジコンに興味を持ち始め、お小遣いの大半を使いました。仁木家のすぐ近くには市の緑地指定公園がいくつかあるため、遊び場には困らなかったですね。あ、あと機械をバラす、イケナイ遊びを覚えました…。この頃から機械物が好きだったってことで勘弁してください。

中学校

やっぱり、興味の対象は変わっていません。暇な時は自転車で林の中を走り回り、時には100km以上の遠乗りなんかしちゃって…。エアガンは、威力を強めようと改造するようになり…。ラジコンは、電動式からエンジン駆動のものへと複雑になり…。やっぱり機械いじりが好きでしょうがないようです(汗)。

自転車のパンク修理なんかは朝飯前でしたね。いやほんと、朝起きたらパンクしてて、慌ててすぐ修理してメシ食いながら学校行った記憶があるぐらいです。もちろん遅刻なんてしてませんよ!

番外編 『受験』

中学校から上を考えるときに、専門学校や高専などを考えていました。機械をいじるのが好きだったし、始めるならなるべく早くやりたいと思っていましたから。

ところが、どうやって説得されたか忘れましたが、気が付いたら「高校を終えてから専門へ~」となっていました。たぶんですけど、高校レベルだともっと複雑な計算を覚えることが出来る…。その計算が使えるか使えないかで、いじれる機械に制限が出ちゃう…。つーことは、高校ぐらいの知識は必要だし、これからは高卒ぐらいの学歴は必要だから…。ってな感じだと思うんですけど(苦笑)。

高校

に入ってから、特に車が好きになりました。書いてはいませんが、幼少期から車は好きでした。11歳上の兄貴から影響されたんだと思います。

で、ここで仁木圭之はひらめいちゃったんです!

  • 世界で一番早い車は何ぞや?
  • サーキット、ラリー、ドラッグ。いろいろあるなぁ。
  • メカニックとしてマシンをいじれても、どれだけ進化したか自分で確かめられないじゃん!
  • マシンがどう進化したか、自分で確かめるためには…。

ドライバーになるしかない!!

これが高校1年のときかな?夏ぐらいだったと思います。ここから卒業まではもどかしかったっす。何とか親と取り交わした約束は、『高卒は最低、それから始めろ』でしたから。

さらに2年のときに「佐藤琢磨」が現れたんですよ…。一瞬で俺のヒーローになりました。

3年になると、一応進学校のためほとんど授業は無く、受験対策の日々でした。俺は当然やることが無かったので、チャリンコで登校→マラソン→下校の繰り返しでした。

現在~

そして待ちに待った卒業。

と同時に、筑波にあるライバルチーム「Winds」の卒業生が始めた『カートに乗っていて、フォーミュラにレベルアップしたい人の為の練習会』という感じのものに参加しました。年齢的にはギリギリだったのですが、何とか参加させてもらい、旧富士スピードウェイにて講習を受けました。レンタカーのサニーで「ヒール&トゥー」を覚えたのが印象的でした。ほぼ1日で覚えてから、当時の愛車「ランクル60」で練習を繰り返すという無謀なこともしました。

そして、その講習会の第2回目を迎える前に、大きな一歩になる『ENDLESSドライバー育成プログラム』を知り、オーディションに参加しました。このプログラムは『レースなどまったく無縁だけど実はやってみたいって人、集まれ!』だったので、迷う必要もありませんでした。面接会場には30~40人ぐらいいたような気がしますが、もちろん合格しました。この時点で6人ぐらいに絞られ、そこから半年の練習期間で最優秀者を選び出すってわけです。

そして半年後、最終選考の2人のうち1人に選ばれ、さらに3ヶ月の審査期間を練習しました。が、結局2人共に選考落ちとなり…。プログラム外からドライバーを引き抜いてくるという、駄目駄目な結果になってしまいました。まぁ、タイムを上げることが出来なかった自分にとやかく言う資格は無いんです。

その分、後日お世話になった ZAP SPEED ガレージからお電話を頂き『待遇の上で、もう1年練習してみないか?』とのお誘いを受けました。そこから少しずつ、少しずつタイムアップし、やっとここまできました。

ちゃんちゃん(終)

終わりがお粗末になってしまいましたが、こんな感じで今日まで過ごしてきました。なかなかに才能が無いのか、頭が悪いのか…。地道なタイムアップの繰り返しです。

活動を始めたのが2003年の春、そして今が2006年の春…。3年かかってしまいました。自分の中で決めている5年のトライ期間後に羽付きフォーミュラに乗れないようなら辞めます。あと2シーズン!!応援宜しくお願いします!!


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